これより陳情第8号に対する討論を行います。
 まず本件に対する反対討論の発言を許します。
〔「討論なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(高木正博)
 次に、本件に対する賛成討論の発言を許します。
 10番 佐藤議員。
○10番(佐藤 修)
 それでは、陳情第8号 憲法を生かし、住民の暮らし守る行政推進を求める陳情に対して、日本共産党を代表し、賛成討論を行います。
 委員会審査においては不採択となりましたが、いま一度考えていただき、可決していただくよう再考をお願いするものであります。
 新しい総理大臣となった安倍晋三氏は、自民党の総裁選挙立候補の公約として、5年以内に現行憲法を変えること、そして、今臨時国会での教育の憲法といわれる現行教育基本法の全面改訂を打ち出し当選いたしました。憲法改正を公約しての総裁選立候補は、戦後歴代初めてであり、新内閣は突出した憲法改正内閣の誕生となったわけであります。
 安倍氏は、著書美しい日本の中で、現行憲法前文はさきの大戦における戦勝国へのわび証文と攻撃をしています。国の形をきめるのは憲法、美しい国をつくるために憲法を改正すると述べているところであります。自民党は、昨年10月28日、新憲法草案を決定し、11月22日の自民党結党大会で発表いたしました。新憲法起草委員会には、安倍総理も入っていたわけであります。
 人類の歴史の到達として、近代憲法の本質は、日本国憲法も含め、立憲主義とされております。立憲主義とは何でしょうか。国家権力を法的に制限した憲法に基づいて政治を行うということであります。憲法は国民を縛るものではなく、国家権力の行使に歯どめをかけ、国民の権利を補償するためのものであるということであります。現行憲法99条は、天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負うとし、権力を行使する者にその擁護を義務づけております。国民への憲法擁護の義務づけはないのであります。
 憲法は、国民を守るためのものであり、国民の人権を保障することが憲法の目的とするのが近代憲法の立場であります。国民の義務や責任を否定するのは法律です。国民が負うべき義務や責任の必要性があるときに法律で必要に応じて決めればいいわけであります。憲法と法律の関係は、その法律が人権を過剰に規制したりしないように歯どめをかけるという関係にあります。憲法は、私たち国民一人一人の生き方、人生を規定します。国民が人権の保障を国家権力に命ずることができる現行憲法から国家が国民の人権を規制したり、命令したりする憲法に変わったら、私たちは、とても息苦しい社会の中で生きていかなければなりません。まさに戦前がそのような時代であったわけであります。憲法を考えるときに、所属する組織や団体の考え方や方針も大切ではありますが、1人の国民として、人間として、国のありようを規定する憲法を考えることが、最も大切ではないでしょうか。
 現行憲法の前文には何が書き込まれているのでありましょうか。前文には、一つとして政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないこと。そのためには、主権在民が大切であることを宣言し、憲法を確定しているわけであります。国政の権威は国民に由来し、その権力行使による福利は国民が享受することを人類不遍の原理であることが書き込まれております。これは、あの戦争が人権保障を体現する主権在民がなかったもとで時の政府が戦争の惨禍を引き起こしたことへの痛烈な反省と国民が戦争の歯どめとならなかったことから、主権在民と人権保障こそ戦争の歯どめであることを意味しているのではありませんか。
 私は、日本の戦争によるアジア諸国民2,000万人、国内310万人のとうとい犠牲をむだにしないその決意が、この前文にあらわれていると思っているところであります。そして、その犠牲者への追悼の念があらわされていると思っておるわけであります。
 二つ目には、武力に頼らず、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、我らの安全と生存を保持すること、そのことをもって、国際社会において名誉ある地位を占めたいと書きこまれているわけであります。これは、今、少数派であっても、武力に頼らない平和の実現、国のありようが世界の進む道であること、やがて多数派となることを展望し、その先駆けになることで諸国から尊敬され、国民が誇りを持てる国になろう。全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有していることを確認し、世界の諸国民に対して武力に頼らない平和の実現に向けたメッセージとなっているのではないでしょうか。
 三つ目には、国際間の政治道徳、不遍の法則を述べ、日本国民は国家の名誉にかけて全力を挙げて崇高な理想と目的を達成することを誓うとしております。
 前文は、さきの大戦の戦勝国へのわび証文などでは決してありません。平和な国、平和な世界をつくることを決意した、まさに安倍総理のいうところの美しい国のありようを決意し、凛とした姿勢で生きていくことを示しているわけであります。
 その実現のための憲法9条の戦争放棄の条項があります。第1項で戦争放棄をうたい、第2項で戦力の保持をしない、国の交戦権は認めないと具体化をしているところであります。平和という最大の人権保障の規定ではありませんか。憲法改正の最大の焦点は、ここにあります。
 自民党案は、第2章を戦争放棄から安全保障に変え、9条1項は残すものの、第2項の戦争拒否の最後のとりで、交戦権の否認はばっさりと削除し、新たに2項に自衛軍の保持を明記しています。そして、その活動として国際社会の平和と安全の確保をするために国際的に協調して行われる活動ができるとしています。また、前文の全面的な書きかえの中でも、正義と秩序を基調とする国際平和をうたっております。
 国際的に協調して行われる活動は、何でしょうか。正義と秩序のための国際平和は何でありましょうか。イラクのあの事態を見るならば、どうでしょうか。戦争当事者であるアメリカにおいても、大量破壊兵器は存在しないことが政府報告の中でも明らかになり、アメリカではこの反省が国民から強く求められているところであります。何の疑いも疑問も挟むことなく、小泉内閣はそれに追随し、イラクに派兵いたしました。サマワという安全だという地帯だということを名目にして派遣したわけであります。しかし、あのイラクの戦争のもとで、イラクの状態は目を覆うばかりの状況であり、アメリカの軍人でさえも多数の犠牲者を生み出している、まさに泥沼の状態ではないでしょうか。
 自民党は、結党以来、自主憲法制定を言ってきましたが、実際は、自主憲法ではなく、アメリカの日米安保の強化の要求、基地の再編強化が盛んに行われ、先制攻撃のための世界の体制がつくられつつあります。
 こうした中、とりわけ9条2項の交戦権の否認の削除による集団的自衛権の行使、アメリカが行う戦争への本格的参戦ができる体制づくり、国づくりが目標であり、アメリカへの従属をますます強める国となるということではないでしょうか。真の独立からますます遠のき、戦争する国が美しい国といえるでしょうか。正義の名のもとに行ったアメリカのイラク戦争を見ればおわかりではないでしょうか。戦後61年、現行憲法制定以来の平和の中での日本国民、人々の営み、人々に根づいた文化、武力に頼らない平和の実現、理想を希求する心を簡単に奪い取ることは許しがたいことではないでしょうか。第2項がなくなれば、確実に日本は戦争する国へとなってしまいます。それが本当によいことでありましょうか。今、一人一人にこのことが真摯に問われているのではないでしょうか。
 そして、第3章では、国民の権利及び義務では、第12条の自由及び権利の行使について、国民の不断の努力による自由の保持と自由の行使に当たっては、公共の福祉に責任を負うという規定から、自由の行使は常に公益及び公の秩序に反しないように規定しております。第13条の幸福権の追求、第29条の財産権についても同様の規定がなされております。公益とか何でありましょうか。公の秩序とか何でありましょうか。戦争できる国になり、権力の側が戦争を行おうというときに、国民が戦争反対の運動をしたりすることが公益に反する、公の秩序に反すると規制され、国民の権利、幸福権の侵害や財産権の侵害がなされることは大変心配されるところであります。今でもビラ配布など不当な逮捕、起訴が行われているのに、国民を監視敵対する抑圧の体制がこの憲法のもとで強化されかねません。国民は、このような息苦しい社会を望んでいるとは、到底思えません。
 そして、第20条では、政教分離についても儀礼的なものなどについて政治が関与できるというぐあいに政教分離に風穴を開けてこうした靖国参拝などに道を開く余地をつくっているところであります。
 そして、第8章、地方自治では92条の2の2項で地方自治体の役務の提供に対して受益者負担を規定していることであります。これは、今議会でもこうした受益者負担の問題が大きな議論になりました。しかし、これは地方自治体が団体自治と住民自治の本旨に基づいて決めることであって、地方自治体の裁量権を奪うという最悪の改悪であり、国民の福祉を奪うための規定としかいいようがありません。
 以上、述べたように、国民の人権保障を目的とした憲法から戦争する国への転換、人権を制限する憲法の改悪ではなくて、陳情第8号を生かし、住民の陳情第8号 憲法を生かし、住民の暮らしを守る行政推進の陳情に対する賛成討論といたします。ぜひともご可決くださいますよう再考をお願いを申し上げて討論といたします。
○議長(高木正博)
 次に本件に対する反対討論の発言を許します。
〔「討論なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(高木正博)
 討論なしと認めます。これで討論を終わります。
 本件に対する委員長の報告は不採択です。
 本件は委員長の報告のとおり決定することに賛成の議員は挙手願います。
〔賛成者挙手〕
○議長(高木正博)
 挙手多数です。したがって、陳情第8号 憲法を生かし、住民の暮らし守る行政推進を求める陳情の件は、不採択と決定しました。
 これより陳情第10号に対する討論を行います。
 まず本件に対する反対討論の発言を許します。
〔「討論なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(高木正博)
 次に、本件に対する賛成討論の発言を許します。
 10番 佐藤議員。
○10番(佐藤 修)
 それでは、陳情第10号 教育基本法の改正ではなく、その理念の実現を求める意見書の採択を求める陳情に対して、日本共産党を代表し、賛成の立場で討論を行います。
 現行教育基本法は、その前文で、我々はさきに日本国憲法を制定し、民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献しようという決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力に待つべきものである。我々は、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を資するとともに、普遍的にして、しかも個性豊かな文化の創造を目指し、教育を普及徹底していかなければならない。ここに、日本国憲法にのっとり、教育の目的を明示して新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定するとあります。このことをして、現行教育基本法は、憲法に順ずる法律と位置づけられているところであります。
 今度の陳情第10号 教育基本法の改正ではなく、その理念の実現を求める意見書の採択を求める陳情に対して、所管委員会において、全会一致とはなりませんでしたが、知立市議会として四たび採択されたことは、市民の代表者としての識見の高さを示したものであり、憲法、とりわけ憲法教育基本法の全面的書きかえを公約している安倍総理誕生の日に良識を示されたことに敬意を表するものであります。
 しかし、過去、同趣旨の陳情に賛成してきた公明党の対応は、極めて奇異なものだと感ずるのは、私一人でありましょうか。現教育基本法の現在の状況が制定時と状況が大きく変わっただけで、納得できる説明とはいえません。さきの通常国会論戦を通じて現行教育基本法にどこに問題があるのか、どうして変えなければならないのか、政府と与党は一切説明できませんでした。衆議院本会議で小泉前首相は、科学技術の進歩や少子・高齢化など、教育をめぐる状況が大きく変化した。法案をまとめた公明党は、制定時には想定されなかった児童虐待やニート、フリーターの増加、いじめ、校内暴力、不登校や学級崩壊の多発など、教育現場、教育をめぐる環境の激変と繰り返すばかりであります。現行教育基本法のどこが問題で変えなければならないのか、まともな説明ができないわけであります。愛国心などの特定の価値観の強制は、改定法第2条、教育の目標の中に、国を愛する態度など20に及ぶ徳目を列挙し、国民全体に義務づけ、学校と子供たちに対しては、第6条、学校教育の中で学校教育においては、教育の目標が達成されるよう体系的な教育が組織的に行わなければならないと義務づけられ、時の政府の望む人づくりが教育現場に強制されます。
 さきの通常国会、日本共産党、志位委員長は、憲法19条の内心の自由を侵害するものではと質しました。小泉首相は、児童・生徒の内心まで立ち入って強制するつもりはありませんと答弁いたしました。しかし、愛国心をA、B、Cで評価する学校と通知表が教育指導要領のもとで存在することを具体的に示し追及いたしました。愛国心の評価としてAは十分に満足できる。Bはおおむね満足できる、Cは努力を要するという内容に対して、小泉前首相は、率直に言って評価は難しい。こういう項目を持たなくてもよいと答弁。その後の特別委員会で、小坂前文部科学大臣は、A、B、Cをつけるなんてとんでもないと答弁いたしました。
 こうした追及によって、全国で愛国心通知表が是正され、愛国心の義務化、特定の価値観強制は憲法第19条に違反していることが明確になり、教育基本法全面改定の根拠が崩れました。根拠が崩れても安部総理と与党は、今臨時国会で教育基本法を成立させるとしています。安倍総理は、官房長官の時代に、ホリエモンが成功したのは小泉改革のおかげ、絶賛いたしました。しかし、彼が逮捕されると、やっぱり教育の結果だ、教育基本法は改正しなければならない。国を愛する心を涵養する教育をしっかり書き込んでいただきたいと述べております。大変底の浅い教育観だと感ずるのは、私一人でありましょうか。
 今は、美しい国をつくるため、政治が堂々と教育に介入できる仕組みをつくることを公言してはばかりません。現行法のもとでも、東京都教育委員会による日の丸、君が代の無法な強制がやられてまいりました。21日にはこの無法に対して東京地裁は、教育基本法第10条違反、憲法19条違反との画期的な判決を出したところであります。現行法第10条、教育行政は教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を負って行われるべきであるとされております。このことは、戦前の教育において、教育勅語、修身を強制するなどの国家権力の支配により侵略戦争に疑問を持つこともない人づくりが行われ、悲惨な結果を招いた痛苦の反省から、教育は不当な支配に服してはならない。国家と時の権力への忠誠を誓う教育から国民全体に対して直接に責任を負う教育を評するための規定が第10条であります。今回の判決は、まさにこのことをもって、日の丸、君が代の強制、従わない教師に対する処罰を不当と退けたわけであります。
 しかし、この第10条がなくなったり、改編されるならば、不当な政治介入の道を開くことになるわけであります。政府案第16条は、教育行政に不当な支配に服することなくの文言はあるものの、教育行政はこの法律及び他の法律の定めるところにより行われるとし、直接介入できる仕組みを導入しようとしているわけであります。
 そして、教育の責任として、国民全体に対して直接に責任を負っている教育が削除され、第6条の教師の役割である全体の奉仕者も削除されております。だれのための教育なのか、だれに奉仕する教師なのか、このことが問われているのではないでしょうか。第17条で、国が教育振興計画を立て、その推進をもって直接介入できる仕組みが導入されるなど、時の政府のための教育、人づくりの推進、教師への支配強化、統制教育へと変質をさせる最悪の内容を持っているのが政府案であります。
 ことし7月から8月にかけて東大基礎学力研究センターが、教育改革等についての調査を公立小・中学校全国約1万校に協力を依頼し、調査をいたしました。3,822校から回答を得た中間集計を発表したところであります。
 教育基本法改正について賛成かという設問に対して、66.1%の校長先生が反対の回答を寄せました。このように、国民的な合意も現場を預る先生たちの合意もない中で、これを強行しようとすることは許すことができません。教育基本法の全面改定の先には憲法改正による戦争をする国づくりがあります。戦争を進めるためには、戦争を支持する国民、戦争に行く国民づくりが必要であります。政府が目指す教育基本法の全面的書きかえは、まさにそのための人づくりを目指すもので、到底容認できません。市民の美しい国どころか、教育基本法の全面改定によって、時代錯誤の戦前の教育を復活しようということであります。現行法の堅持とその理念の実現こそ国民が望むところと私は確信をしております。市民の良識に沿って当本会議において、全会一致で可決されるよう再考を求め、賛成討論といたします。
○議長(高木正博)
 次に本件に対する反対討論の発言を許します。
〔「討論なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(高木正博)
 討論なしと認めます。これで討論を終わります。
 本件に対する委員長の報告は採択です。
 本件は委員長の報告のとおり決定することに賛成の議員は挙手願います。
〔賛成者挙手〕
○議長(高木正博)
 挙手多数です。したがって、陳情第10号 教育基本法の改正でなく、その理念の実現を求める意見書の採択を求める陳情書の件は、採択と決定しました。
 これより陳情第11号に対する討論を行います。
 まず本件に対する反対討論の発言を許します。
〔「討論なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(高木正博)
 討論なしと認めます。これで討論を終わります。
 本件に対する委員長の報告は採択です。
 本件は委員長の報告のとおり決定することに賛成の議員は挙手願います。
〔賛成者挙手〕
○議長(高木正博)
 挙手全員です。したがって、陳情第11号 第八次定数改善計画の実施と学級規模の縮小を求める陳情書の件は、採択と決定しました。
 これより陳情第12号に対する討論を行います。
 まず本件に対する反対討論の発言を許します。
〔「討論なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(高木正博)
 討論なしと認めます。これで討論を終わります。
 本件に対する委員長の報告は採択です。
 本件は委員長の報告のとおり決定することに賛成の議員は挙手願います。
〔賛成者挙手〕
○議長(高木正博)
 挙手全員です。したがって、陳情第12号 市町村独自の私学助成の拡充を求める陳情書の件は、採択と決定しました。
 これより陳情第13号に対する討論を行います。
 まず本件に対する反対討論の発言を許します。
〔「討論なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(高木正博)
 討論なしと認めます。これで討論を終わります。
 本件に対する委員長の報告は採択です。
 本件は委員長の報告のとおり決定することに賛成の議員は挙手願います。
〔賛成者挙手〕
○議長(高木正博)
 挙手全員です。したがって、陳情第13号 国の私学助成の拡充に関する意見書の提出を求める陳情書の件は、採択と決定しました。