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八橋の地名のおこり

(イラスト)八橋の地名のおこり

八橋の地名についてこんな話があります。

むかし、野路の宿に、名前を羽田玄喜という医師が、この地の荘司(荘園の役人)の娘である妻と、二人の男の子と楽しく暮らしておりました。しかし、父親の玄喜は、若くしてなくなってしまい、家はだんだんに貧しくなっていきました。
母は二人の子どもを育てるため、山に行ってたき木を拾ったり、浦(今の逢妻川は海に続き、浦になっていた)に出て海草をとったりして、苦労しながらも、子どもの成長を楽しみに暮らしておりました。兄は八歳、弟は五歳になっていました。
ある日のこと、母親は二人の子どもに、
「よい子だから、母さんが帰るまでおとなしく留守番をして、待ってておくれ。」といいきかせて、この浦にのりをとりにでかけました。
二人の子どもは、初めのうちはおとなしく家でまっていましたが、そのうちに母がこいしくなり、川辺まできました。向こう岸で一生懸命のりをとっている母の姿をみつけると、
「おかあさん、おかあさん。」
といいながらかけよろうとして、あやまって川の深みに落ちてしまいました。あっと言う間のできごとです。
目の前で水におぼれて流されて行く二人のわが子を見て、母は気も狂わんばかり。なんとかして子どもを助けようとしましたが、そのかいもなく、とうとう二人のこどもを見失ってしまいました。

母親の悲しみといったら、たとえようがありません。母は無量寿寺に入り、髪をおろして、師孝尼という名の尼さんになりました。
朝夕仏に仕え、二人の子どものめいふくを祈り続けました。そして、「この川に橋さえあれば、子どもがおぼれることもなかったろうに、また、村の人たちも安心して、川を渡ることができるのではないか」と思い、観音様の本尊に祈願をこめ、「どうかこの川に橋をかけることができますように」と、一心に祈りました。

(イラスト)八橋の地名のおこり2

ある夜のことです。

「彼の浦へ行けば、材木がたくさん岸べに打ち寄せられている。それを使って橋をかけるがよい。」と、夢のお告げがありました。
師孝尼は喜んで、浦へ行ってみますと、お告げどおりたくさんの材木がありました。
その材木で、橋を渡そうとしましたが、この川は、流れがいくすじにも、くもの手のようになっていて、まっすぐの一本の橋をかけることはとても無理でした。しかしたがいちがいに板を渡して、どうにか向こう岸にとどく八つの橋ができあがりました。

それからは、村人たちも、楽に向こう岸に行くことができるようになり、橋の数にちなんで、この地を八橋と名づけました。仁明天皇の時代、承和九年(八四二)五月のことです。
その後、師孝尼は、この川のほとりに咲くかきつばたの花を、なき子の供養の花と思いますます信心を深めたということです。

現在、その二人の子の供養塔は、無量寿寺の境内に、師孝尼の供養塔は、在原寺の境内にひっそりと建っています。

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