稲荷神社

更新日:2023年08月23日

弘法町(弘法山)

(イラスト)稲荷神社

江戸時代の終わりのころのことです。
吉三郎さんは、上重原の中根から越してきて、弘法さんの門前に住んでいました。

そのころ、弘法山には、仲のよい親子ぎつねがすんでいて、近所の人の目を盗んでは、いたずらばかりしていました。吉三郎さんのところの台所に入って、たべものなどをくわえては、子ぎつねのいる山の中へ持っていくのです。そんなことがたびたび重なり、しまいには吉三郎さんの見ている所でも、ずうずうしくいたずらするのでした。
吉三郎さんは、とうとう怒りだしてしまいました。
「このいたずらぎつねめ。あんまりわるさをすると、弘法山からおっぱらってしまうぞ。」
と、吉三郎さんはいつになく大声をあげて追いはらってしまいました。

ところが、その翌日から、その母ぎつねは姿を見せなくなりました。吉三郎さんは、「やれやれ」と安心はしたものの、きつねのことが心配になりました。

ある日、そっと裏山へ行ってみますと、母ぎつねは死んでいました。そのそばで子ぎつねが腹をすかして泣いています。吉三郎さんはそのようすを見てかわいそうに思って、さっそく家へとってかえし、きつねの好きそうなたべものを持って裏山をかけのぼりました。
しかし、そこにはもう子ぎつねの姿はありませんでした。辺りを探しましたがみつかりません。
吉三郎さんは、ずいぶんいたずらされたきつねですが、いざいなくなってしまうとさびしくて、気になって、気になって仕方がありません。

一日たち、二日たち、三日目の晩です。吉三郎さんは子ぎつねの夢をみました。
「わたしたちは、いま、豊川さんにきていますから安心してください。でもおかあさんを葬っていませんから、わたしのかわりにおかあさんの霊をまつってください。」
と夢の中で頼んでいるのです。
吉三郎さんは、さっそく豊川さんへ出かけて、お札をもらい受け、自分の屋敷にお稲荷さんの社を建てて、親ぎつねの霊をまつりました。

吉三郎さんがなくなったあとも、吉良道のそばで酒屋をしている小右衛門という人がかわって、そのお稲荷さんを大切におまつりしましたので、小右衛門さんの店はもちろん、この辺りの商家は、繁盛して、どの家も活気にあふれていました。
小右衛門さんは、これもみんな豊川稲荷の子ぎつねや屋敷の中の親ぎつねが見守ってくれているのだと、ますます信心を深めていました。
その子ぎつねも、あれからときどき豊川さんから弘法山にかえってきて、その辺りに姿を見せていたそうです。

現在、親ぎつねをまつったお稲荷さんは、弘法さんの境内の北の方にあって、弘法町の人たちがまつっています。
おしまい

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